透明ブーメラン

透明ブーメラン

2020年6月30日

大学時代のある時、
私が図書館で本を借りようと貸し出しカウンターに行って
借りる本をスタッフに差し出したときの話である。

初っ端から話が逸れるが、
図書館で3,4冊本を借りたり、
あるいは書店で値段の高い専門書を
買ったりすると、まだ読んでもいないのに賢くなった気になっていたものである。
大学院を出た人間も、所詮はその程度なのだから、
今高校生くらいの方たちも、
是非とも単語帳を買っただけで
英語の成績が上がった気になってほしい。

さて、私は借りる前から
社会科学について以前よりも
さらに深い知見を得た気になりながら、
図書館の貸し出しカウンターに
アンソニー・ギデンズやウルリヒ・ベックらの著書を平積みにし、
賢者のような顔で愚か者の顔が写っている学生証を
スタッフに手渡した。
すると、スタッフがこう言ったのだ。

「貸し出しでよろしいですか?」と。

私は、
「あ、はい」と口から出る刹那、
以下のように思った。

貸し出しでよろしいですか?だと?

この人ナニ言ッテンダロウ?

よろしいに決まっているではないか。
それ以外にどのような選択肢があるのだ?

いいかい、おにぃさん?

「○○でよろしいですか?」っていう質問は、
○○以外に可能性がある場合、
選択肢がある場合にするものなんだぞ?

たとえば、
「あなたが好きなジブリヒロインはナウシカでよろしいですか?」
という質問なら分かる。

なぜなら選択肢があるからだ。
キキが好きかもしれないし、
千尋が好きかもしれないし、
シータが好きかもしれないし、
ソフィが好きかもしれない。
今列挙した以外の選択肢だってある。

こうなれば、
「はい、そうです」あるいは
「いいえ、私はサン派です」などと
会話のキャッチボールが成立する。

それに引き換え、
私が貸し出しカウンターに
差し出した本は
ラミネートされたバーコードと
分類表の番号が貼られている。
どう見ても図書館の本ではないか。
貸し出し以外の何があるのだ。

いや、仮に私がバーコードと分類コードのない私物、
図書館の蔵書以外の本を
誤って貸し出しカウンターに載せてしまったとしても、
「貸し出しでよろしいですか?」
はおかしい。
この場合は、逆に
貸し出しでよろしくないからである。

そこまで考えて、私の口から
「あ、はい」という
心ここにあらずな言葉がこぼれた後、
スタッフは本のバーコードにピッピッして、
本の角を謎の機械にカシャンカシャンし始めた。
(あのカシャンカシャンは何をしているのだろう?
誰かご教示いただきたい。)

そのピッピッカシャンカシャンを
ボンヤリと眺めているとき、私はひらめいた。
なぜ図書館のスタッフが、
「貸し出しでよろしいですか?」と訊いてくるのか。

まさか、
購入というパターンがあるのか??

「貸し出しでよろしいですか?」
「いえ、購入で」
と言えば、
この図書館は本を買えるのか?

レンタルしかできないと思っていた素晴らしい本が、
実は買い取りオプション付きだったなんて。
欧州サッカーの移籍市場なら
クラブのシニアディレクターは喜び叫んでプールに飛び込むだろう。

そんなことができるのか?
本当か?

だとしたら…
図書館の構造転換が起こっている…!

(文系大学生は、“構造転換”という言葉を聞くと
とてもワクワクするのだ。許してほしい。)

図書館という文化的装置の構造を破壊する事態を突き止めるべく、
どこかに購入のルールが書かれていなか探したが、見当たらない。
カウンターにレジのようなものもなさそうである。

あれ…おかしいな。
あ、そうか。

購入カウンターがあるんだ!
そこにレジもあってきっと本が買えるんだ!

そうひらめいて、
となりのカウンターに目をやると、天井から

“返却”

の2文字が吊るされていた。

むむ、ココは返却か。
じゃあ別のカンターが…

あれ?…

あ、そっか。
本を返却する人もいるから、
「貸し出しでよろしいですか?」
って訊くんだ。

そうだよね、
貸し出しも返却も、本をカウンターに出すっていう点では同じだもんね。
「この人ナニ言ッテンダロウ?」は私だったのだ。
(声には出してないからセーフという説もあるが。)

本当は自分が理解していないだけなのに、
本当は自分が「この人ナニ言ッテンダロウ?」の“この人”なのに、
自分の見えている世界がすべてだと勘違いして、
他人に対して「この人ナニ言ッテンダロウ?」
と思いながら自分の“正論”を振りかざし、
何にも気づかず自分の賢明さに浸りに浸る。
そういう見えていないブーメランを
たくさんスルーして生きている気がする。