“令和おじさん”から考えるラスボスの愛称

“令和おじさん”から考えるラスボスの愛称

菅義偉内閣総理大臣が誕生した。

菅氏は、官房長官時代に会見であの
“令和”のを文字を掲げたことで、
“令和おじさん”という通称があるらしい。
これはどうやら何かを皮肉った俗称でもないようで、
つまるところ愛称のようなもののようである。

今回、その菅氏が内閣総理大臣になったことで、
「令和おじさんが内閣総理大臣に」という文言が
メディアで飛び交った。

が、私は内閣総理大臣に対して“令和おじさん”
という呼び名が伝播することに違和感を覚える。

国家権力の頂点にいる人間が、
“令和おじさん”というデフォルメされた
表現をされていることにしっくりこないのだ。

別に国家権力批判を展開したいわけではない。
たとえば『FF7』のラスボスであるセフィロスに
“セフィたん”
のようなデフォルメされた愛称がついたら
違和感を覚えるのと同程度の
どうでもいい話だと思っていただければいい。

何か壮大な権力や武力を持つ人間に対し、
デフォルメされた呼び名は合わないと思うのだ。

マリオシリーズのラスボスであるクッパは
シリーズを重ねるごとに“愛嬌”が増しており、
いつも最終的にはマリオに打倒されるため
“憎めなさ”も持っているが、それでも
“クパたす”とか
“カメおじさん”といったのデフォルメされた愛称は見当たらない。

「いや、クッパは3文字で短いから」
と言うのであれば、
「すが」の2文字である菅首相に対し
“令和おじさん”という7文字の
愛称がつくのもおかしい。

同様に、デデデ大王やエッグマンなど、
愛すべきところもあるラスボスであっても、
特に愛称はつかない。

また、『鬼滅の刃』のラスボスである
鬼舞辻無残は物語の終盤、
自らの延命のためか
ジャンプ連載期間の延命のためか
とにかく逃げ回り、その結果ネット上で
“無残様”という俗称が定着している。


これは鬼舞辻無残に対する
恐れでもリスペクトでもなく、
「無残様!!」と平伏する部下には
無慈悲な鉄槌を下すにもかかわらず、
当の本人がピンチに陥るとひたすら保身に走るという
現実にもいそうなパワハラ上司ぶりを見て、
その器の小ささから皮肉としてネット民に
「無残様(笑)」と嘲笑(嘲称?)されているのである。

鬼舞辻無残には愛べきところがほぼない
(せいぜい逃げ回る哀れさくらい)
という点で“無残様”は愛称でもないし、
それこそ“GACKT様”のような
リスペクトが含まれた呼び名でもない。
あくまで蔑称の類である。

対して強くない“ラスボス(笑)”とされるラスボスや
器の小ささが見えるラスボスには、蔑称はついても、
愛称がつくことはそうそうない。

そして、特に愛嬌のあるキャラでもなく、
ひたすら強いラスボスの場合、
愛称がつかないことが多い。
『ゼルダの伝説ムジュラの仮面』の
ムジュラはムジュラだし、
『ロードオブザリング』の
サウロンはサウロンだし、
『ポケットモンスターDP』
のシロナはシロナである。

要するに、ラスボスに対しては、
そのボスに愛され要素があろうとなかろうと、
愛称はつかないことが普通であり、
別称がついたとしても
ただの略称か蔑称なのである。

日本社会における
最大の権力者=ラスボスは
内閣総理大臣と言って差し支えない。

そう考えると、日本のラスボスである菅首相に対して
“令和おじさん”という愛称がつくことへの違和感も
ご理解いただけるだろうか。

“令和の文字を掲げた歳取った人(男性)”を形容するなら、
”令和おじさん”
でなくとも
“令和の文字を掲げた人”でも
“令和老人”でも
“令和じじい”でも
“令和翁”でも良いわけで、
そこであえて
“令和おじさん”
が選択されるということは、
(小渕恵三が“平成おじさん”と呼ばれたから、
などということは関係なく)
現内閣総理大臣のキャラを
デフォルメしているようでどうにもしっくりこない。

大概の人間は特に何も考えずに
“令和おじさん”を使っているのかもしれないが、
これがあえて“令和おじさん”という言葉を使い、
あるいは使わせることで
内閣総理大臣に愛着の湧くような
キャラ付けをしようとするプロパガンダならば、
やはりラスボスと言って差し支えないだろう。