少年の日の思い出 “罪悪感”編

少年の日の思い出 “罪悪感”編

2020年11月13日

人生で最初にはっきりと“罪悪感”を覚えたのがいつか、
記憶にある人はいるだろうか?

私ははっきりと覚えている。

私が幼稚園児だった頃である。
世間ではニンテンドー64が全盛期で、
小学生の兄はゲーマーと化していた。

中でもお気に入りだったのが、
『バンジョーとカズーイの大冒険』(以下『バンカズ』)である。

クマのバンジョーが背負うリュックの中にトリのカズーイがいて、
2人は軽妙なやりとりをしながら、
バンジョーの妹をさらった魔女グランチルダを倒すために冒険の旅に出るのだ。

私は当時、自分自身がゲームをプレイしたという欲求があまり強くはなかった。
兄が『バンカズ』をプレイしているのを横で見ているだけで充分楽しかったのだ。
よって、当時我々兄弟の間では

「ぼくがやるぅ~!!」

みたいな兄弟ゲンカは起こらなかった。

ただ、幼稚園から早く帰ったときや兄が公園で遊んでいるときは
家のロクヨンが空くので、
『スーパーマリオ64』などを
暇つぶし程度にやることがあった。

そして、ある日のこと。

兄が小学校から帰ってくる前、
幼稚園が早く終わったのか休みだったのかは覚えていないが、
とにかく私は昼過ぎから家にいた。

そして、当時兄がハマっていた
『バンカズ』を自分でもプレイしてみたくなったので、ロクヨンの電源を入れた。
記念すべき『バンカズ』初プレイである。

冒頭、制作元のレア社のロゴなどが出てきたのち、
データファイルの選択画面となった。

しかし、残念なことに、
私は「どのボタンを押せばゲームを始められるのか」
を知らなったのだ。

Aボタン:ゲームかいし
Zボタン:ファイルをけす

と本来画面には出ているのだが、
当時の私は幼稚園児なので「“かいし”とは?」という状態であったし、
当然“ファイル”が意味するところも分からない。

私はよくわからず、
いろんなボタンを押してみた。

するとしばらくして画面が遷移したので、
「よし!始められる!」
と思ったのだが、
なかなか始められない。

あれ?おかしいな…
兄が始めるときは、
すぐ“グランチルダのとりで”の入口からプレイがはじまるのに。

なんだか奇妙なムービーが流れている。
ボタン操作は、会話を早める以外何もすることができない。

しばらくすると、
“グランチルダのとりで”ではなく、
バンジョーの家からゲームが始まった。

「なんかいつも見てるのと違うな」
と思い、一度ゲームを終わりにして、
もう一度ファイル選択画面からゲームを始めることにした。

今度はすぐに画面が遷移した。
が、先程と同じムービーが流れ始めた。
そして、またバンジョーの家。

ここで言っておくと、
バンジョーの家とは、
ポケモンで言うマサラタウンのようなところである。

つまり、ここが“ゲームの始まりの場所”であり、
そのことは日本語が読めない私も知っていた。


このあたりから、
うっすらと思い始めたのだ。

兄のデータを消してしまったのではないか、と。

私は『まどマギ』のほむらのように
何度もゲームを終了させてはファイル画面に戻り、
再びゲームを始めたが、
ほむらがそうであったように、
自らの望む未来はやって来ない。

私は怖くなって、
母を呼んで事情を説明した。
しかし、母もゲームの操作には疎いので、
「とりあえずお兄ちゃんが帰って来るまで触らずに待っていよう」
ということになった。

たしかに、私がゲームへの入り方を間違えてるだけかもしれない。
データは消えておらず、兄なら元データのありかを知っているかもしれない。
そう願った。

兄が帰ってきて、
母が兄に事情を説明すると、
兄は急いで『バンカズ』を起動した。

兄はファイル選択画面からデータを選んだが、
例のムービーが流れたので
ゲームを終わらせファイル画面に戻り、
そこをしばらくうろついて、
もう一度ゲームを始めた。
すると、また例のムービーが流れた。

私は兄のセーブデータを消していた。

すべてを悟った兄は、
私の横でコントローラーを握りながら、
さめざめと泣き始めた。

兄は当時、『バンカズ』の終盤まで辿り着いていた。
“カッチコッチな森”という最後のステージまでゲームを進めていたのだ。
そこをクリアすれば、残るはラスボスのグランチルダだけだった。
(『バンカズ』ファンの皆様、お分かりだろうか?
私はあの“カッチコッチな森”まで進んでいたデータを消したのだ。)

日本語の分からない幼稚園児だったが、
ゲームの終盤まで来ていたことも、
兄が何時間も頑張ってプレイしてきたことも、
いつも横で見ていた私はよく知っていた。

だから、兄から何かしらの制裁がくるのではないかと思い、私は身構えた。

だが、兄は何も言わなかった。

兄は私のことを殴りもせず、
恨み言も言わず、
静かに泣きながらゲームを始めた。

今思えば、このとき兄が私に何も言わなかったからこそ、
私は罪悪感をヒリヒリするくらいに感じたのだろう。

すぐにでもその場から逃げたかったが、
子どもながら、直観的に自分はこの場で兄のゲームを見ていなければならないと感じたので、
その場で体育座りをしながら画面を見ていた。

『バンカズ』の最終盤まで来ていた上級者の兄が、初心者でも登れる最初の山をクルクル登っていく。
兄の泣きながら鼻をすする音と、テレビから流れる軽快な音楽。

あのコントラストを、
私は大人になった今も忘れることができない。

これが、私の罪悪感の原初的体験である。

結局、そのあとも兄からは恨み言ひとつ言われなかった。
「もう『バンカズ』をやるな」とも言われなかった。

その代わり、兄は私用のセーブデータを作ってくれた。
そして、自分のデータを開いてゲームを始める操作方法も教えてくれた。
(良い兄過ぎやしないかい?)

そしてその後、兄は持ち前のゲーマー根性を発揮し、
驚異的な早さで再び“カッチコッチな森”まで辿り着いた。
私が消したセーブデータに、追いついたのである。


その時の安堵感も、罪悪感と一緒によく覚えている。