少年の日の思い出 “切なさ”編

少年の日の思い出 “切なさ”編

前回に続いて、ある感情の原初的体験、“少年の日の思い出”を書きたい。
今回は、人生で初めて“切なさ”を感じた出来事である。

そして前回に続いてゲーム(ロクヨン)の話だし、
前回に続いて兄の話である。
お許しいただきたい。

私が小学校低学年の頃の話である。

兄は相変わらずゲーム三昧で、
その時期はニンテンドー64の『マリオストーリー』という作品にハマっていた。

『マリオストーリー』とは、
マリオが紙状のペラッペラな人間になり、
物語を紡いでいくいわゆる“ペーパーマリオ系”の源流に位置する作品である。
“ペーパーマリオ系”の作品は通常のマリオ作品とは毛色が異なり、
ダークな世界観を纏い、人間の闇のようなものを感じさせるシーンが多い。
(人畜無害なキャラクターをマリオがハンマーで叩くと死んで二度と会えなくなったり、それとは別件でマリオが殺人を疑われたり、詐欺師がマリオを陥れてきたりする。)

兄はそんな『マリオストーリー』の世界観が好きだったが、
一方で兄はこう言っていた。

「『マリオストーリー』は暗いから、全クリしてピーチ姫を取り戻した後の明るい世界を楽しむんだ」と。

……今、
「ん?フラグか?」とか思われた方も、
「いやいや、まさかまさか」と思い直して、
どうかもう少し読み進めていただきたい。

私も、兄の隣といういつものポジションで、
マリオがクッパを倒すまでのプロセスを、
数か月見守っていた。

『マリオストーリー』は同機種のマリオ作品である
『スーパーマリオ64』などと比べても時間と手間の掛かる作品である。
だからこそ、クッパ城の頂までクッパを追い詰めたときは時間の重みを感じた。
兄はラスボス前最後のセーブポイントでセーブをし、
クッパの待つ城の頂へ向かっていった。

そして、見事クッパを倒し、
ピーチ姫を取り戻したマリオ扮する兄は、
めでたくエンディングを迎えた。
兄は初回クリアの時はエンディングを見る派の人間なので、
私は兄とともに感慨に浸りながらエンディングを眺めていた。

エンディングでは、エンドロールと一緒に
平和の戻った街でパレードが行われている様子が映し出されていた。

そしてエンディングの最後、
マリオとピーチがマリオの家からお祝いの花火を眺めている映像とともに、

“THE END”

の文字が出てきた。

おぉめでたしめでたし~!

と思っていたのは、私だけだった。

横を見ると兄はコントローラーのボタンをカチャカチャ押しながら、困惑の表情を浮かべていた。

「おかしい…」

兄がそう言うので、何がおかしいのか訊くと、

「どのボタンを押しても画面が動かない」

いやいや、それはエンディングだから…
と思った方もいらっしゃるかもしれないが、
兄はこう続けたのだ。

「まだセーブしてないのに。」

たしかに、
クッパに挑む直前のセーブポイントでセーブして以降、データセーブをしていなかった。
当時は今のゲームのようにオートセーブなどという機能は基本的にはなかったし、
弟にゲームのセーブデータを消されたことがある兄はセーブの書き換えなどにはとても敏感だったので、鋭く察知したのだ。

このままゲームを消したら、クッパを倒す前に戻ってしまう、と。

だが、どうしようもない。
どのボタンを押しても反応しない。
ただただお祝いの花火が空に上がり続け、
センチメンタルなオルゴールが流れ続けているだけである。

兄は現場を保存し、
母を呼んだ。
相変わらず母はゲームに疎かったが、兄と

「勝手にセーブされてるとかはないの?」
「ないと思う、いつも必ず画面に出るから」
「本当にセーブはしてないんだね?」
「絶対にしてない」


などと重要事項確認をしたうえで、結局
「一回電源消してもう一度開いて確かめるしかないんじゃない?」
という至って現実的な結論に辿り着いた。

兄は1時間近く、ロクヨンの電源を落とすことに躊躇した。
兄は当時小学校高学年だったが、
ことゲームについては家族の誰よりもよく分かっていた。
だから、今ここで電源を落とせば、
クッパを倒す前に戻ってしまうという確信があったのだ。

だが、電源を落とす以外の方法がないことも頭では理解していた。

消すしかない。

消すしかないのだ。

兄は小学生にしてはあまりにも酷な選択を迫られ、
やむを得ずロクヨンの電源を落とし、
すぐに再起動した。

すると、
無情にもゲームはクッパを倒す直前のセーブポイントから始まった。

「ほらぁぁぁああ!やっぱりいぃぃぃいい!」

そう言って兄は泣き叫んだ。
まるで絶望の淵に叩き落されたような、
というか実際絶望の淵に叩き落されたのでその通りのむせび泣きを始めた。
吸うときの息が強いので、呼吸するたびに兄の下唇が大きく動いていた。

兄は数か月、クッパの闇が払われたあとの世界を楽しむために、ゲームを進めてきた。
だが、クッパを倒したら、ゲームはそこで終わりだった。
文字通り、THE END だったのだ。

あんまりではないか。

そんな兄を見ていたら、
涙は出ないのに、肺のあたりがきゅーっとなるのを感じた。
今まで味わったことない、初めての感覚。

切なさである。

兄は再度クッパを倒し、
その後エンディングまでのシーンで何とかセーブできないかと検証した。
晩御飯を食べた後も兄は何度も検証していたが、結果は変わらなかった。

その日、本来兄は学習塾に行く日だったが、

「あ、この子今日はもうムリだ」

と察した母は塾の先生に、
「車のタイヤがパンクして送迎ができないから今日は休みます」
というウソの電話をしていた。
歩いて行ける距離なのに。

そして、息子を納得させるためか、
あるいは息子があまりにも不憫だったのかは分からないが、
母は任天堂に電話をして、不具合なのか否かを確認した。

すると、任天堂の担当の方も、
「そうなんです実は…そういう仕様なんです…そこでセーブはできないんです」
と、申し訳なさそうに答えてくださったらしい。

それを聞いた兄は、ようやく諦めがついたようだった。

きっと、全国に兄と同じように涙を流した少年少女がたくさんいたのだろう。
次作の『ペーパーマリオRPG』では、
ラスボスを倒したあと、ちゃんとセーブをしてクリア後の世界を楽しめるようになっていた。

「前を向こう。人もゲームも、涙を流した屍の上に進化していくのだ」
とかキザにまとめれば聞こえはいいかもしれないが、
やっぱり私はあの無限に花火が上がり続けるエンディングが、
センチメンタルなオルゴールが、忘れられない。

ご存知ない方は、YouTubeにあるので是非ご覧いただきたい。
そして、ほんの少しで良いので、
その画面の先の世界を見たかった少年に思いを馳せてほしい。

切ないぞ。