小学校の運動会に言いたいこと

小学校の運動会に言いたいこと

2021年2月3日

小学校の運動会における諸々の事象は、ときたま話題になる。

以前、徒競走で順位をつけないように皆で同時にゴールする運動会の話を聞いたことがある。

これは皆さんもお分かりだろうが、
子どもに順位がつくことによって差異化されないための多方面への配慮だと思われる。
そういう催しをやりたいならすればいいが、
その場合は技を競わないので、

「次の競技は~」

を枕詞にしたアナウンスをしてはいけないし、
校長先生は開会式で

「みなさん最後まで全力で」

などというスピーチをしてはいけない。
最後まで全力でプレーすると、順位が生まれるからである。

突き詰めて考えれば、そもそも

ヨーイ、ドン!

で走り始める必要もない。
どうせゴール前で待たないといけないのだから。

仮に、仮にだが、こういった運動会を開催しておきながら先生が

「みんなが1等賞なんだよ~」

などと褒め称え始めたらいよいよ、である。
等級をつけないことを決めたのは、あなた達なのだから。
(でも言いそうだから怖い。)

上のような事例は、
配慮を徹底していれば興味深いかもしれないが、
なにかと中途半端なことが多いので、
結果として倒錯した事態になっているように思える。

一方、この“みんなが一等賞”ケースよりもよく耳にし、目にする運動会における倒錯した光景がある。

選手宣誓である。

全ての選手宣誓ではない。
男女のペアにより行われる選手宣誓である。

2人組で行われる選手宣誓で、
男子・男子あるいは女子・女子のパターンを私は見たことがない。
大概、男子・女子である。

これは、ジェンダーに関わる配慮だと思われる。

ここまではいい。
言いたいことはここからである。

男子・女子の宣誓において、

男「せんせ~、僕たち」
女「私たちは~」

というセリフの配分がなされるケースがある。

これが釈然としない。

もし、1人で選手宣誓を行うのであれば
「僕たち」あるいは「私たち」における“たち”とは、
そこの校庭にいる男女関わらずすべての子どもたちである。

宣誓者によって「僕たち」「私たち」という言葉が変わる可能性はあるものの、
その1人称複数の外延は同じなのだ。

しかし、男女それぞれが

「僕たち」

「私たちは~」

と別々に宣誓することで、
あたかもそれぞれが別の集団を代表しているかのように受け取れてしまうのだ。

本来、性差をなくすための配慮から発想された
男女ペアの選手宣誓のはずなのに、

「僕たち(男子)」

「私たち(女子)は~」

とかえって男女間で分断されているような気がしてならない。

男女ペアで宣誓するにしても、
どちらかが1人称複数をマイクに吹き込んで、
あとは
「スポーツマンシップにのっとり~」
などと宣誓内容に移ればいいのである。

「そりゃアンタ目くじらを立てすぎだろ」

と言われればそうかもしれないが、
中途半端な配慮をすることでそういう疑念が浮かぶ余地を作ってしまうなら、本末転倒なのでいっそのこと何もしなければいいと思う。

配慮や優しさといった類のものは、
中途半端が一番よくないのだ。