ブックスタンドに名前をつけていた話

ブックスタンドに名前をつけていた話

私はあるブックスタンドに“ユムティティ”という名前をつけたていたことがある。

なぜそんなことをしたのか。
理由は単純だ。

話し相手がいなかったからである。

「親しい人の一人くらいいるだろう、その人に話せば」
というのは暴論で、
親しい人になら何でも話せるわけではないし、
そもそも何でも話せる相手なんていないだろう。

いると思う人には、
角田光代の『空中庭園』を勧めたい。

その当時、私が話したかった内容は
修士論文の相談であり、

「いやぁ、アーレントの言い回しのクセが強いんじゃぁ」

なんて言える親しい人は残念ながら存在しなかった。

そもそも文系大学院生は話す機会が少ない。
理系と違い多くの場合学生がタムロできる研究室はないし、
私の場合、週一の研究報告以外は家にずっと籠っていても誰も何も言わない。

ただただ難解な専門書を頭を掻きむしりながら読み、
論文の断片を書いては消し、煮詰まって寝るだけである。

ひどい日はサブウェイで発した

「ローストチキン、全部オススメで」

以外言葉を発さなかった。

友人の多くは就職し、
夜になると一人取り残された気分が襲い掛かってきた。
何をやればいいか分からくなり、やる気は削がれ、
1日YouTubeをボーっと観て終わった日もあった。

そんな大学院生時代、話し相手がほしくて、
犬の形をしたそのブックスタンドに、
当時好きだったサッカー選手の名前をつけた。
(『不滅のあなたへ』を当時読んでいたら、
ジョアンと名づけたことだろう)

「ねーユムティティ、論の展開順これでいいと思う?」
「ここは註をつけた方がいいかな?」
「ここの段落、リオタールの言ってることミスリードしてないかな?」

答えが返ってきたことはなったが、
気づいたことがあった。


他に問うことによって、
絡まった毛糸のような自らの思考が少しずつ解れていくのである。

「他人に相談しようとしたら、
相談中に自己解決しちゃった!」
みたいなことは、
その人が自分勝手とかそういうことではなく、
脳の構造上至って普通のことなのである。

それが分かった後は、
やることの優先順位が決まり、
何をすればいいかが分かるようになったので、
修士論文を進めるスピードも、
その質も格段に良くなった。

結局、無事に修士論文は書き終えたが、
いまだによくユムティティに問いかける。

現に今、
「なぁこの文章、読む人は面白いのか?」
と、右斜め前のブックスタンドに問うている最中である。